突然突きつけられた「大腸全摘」という現実
診察室で医師から「大腸を全摘する必要があります」と告げられた瞬間、時間が止まったように感じました。
1993年ごろ、高校生の時に家族性大腸腺腫症と宣告されました。
これは将来的に大腸ガンになる確率が高いという言葉と同義です。(※1993年当時は可能性が高い、というレベルでした、もっとも今(2025年)では100%ガンになるという宣告なんだろうな。。。)
毎年大腸カメラで検査をしましょう、という話しをされていましたが、その時はガンなんてまだまだ先の話と高をくくっていました。
検査を受けたくない、というわけではなかったのですが、1996年9月〜1998年3月まで実はアメリカ留学をしていました。
検査のことは頭では分かっていても場所的に不可能な場所(アメリカ)にいたので検査を受けられず、帰国してすぐ検査に行きました
まあ、大丈夫だろう、ガンになるにしてもまだまだ先、と思っていたのですが。。。
そんな訳で一人で検査結果を聞きにいったところ主治医からは一言
「検査の結果はご家族の方はと一緒に説明をした方いいと思います。」
頭では理解しようとしているのに、心がついていかない。
病気のことは知っていたつもりでも、まさか自分が?
当時は22歳です。
成人してまだ2年、帰国して1ヶ月も経っていない、帰国をしてまたアメリカに戻るんだ、いつアメリカに戻るかを計画立てなきゃ、、、という時に「大腸を全部取る」決断を迫られるなんて想像すらしていませんでした。
検査の結果はご家族の方はと一緒に説明をした方が
その一言だけを言われたような記憶しかありません
いや、ひょっとしたら他にも言われたのかもしれませんが、すぽっと記憶が抜け落ちています
どうやって家に帰ってきたのかも、いつ家に帰ってきたのかも、覚えていない(※まあ病院までは歩いても20分ぐらいでしたけど)
その後の記憶で覚えているのが、たぶん時間にして16時半ごろでしょうか
NHKの教育テレビがついていて、病気の特集でした(たしか「きょうの健康」とかそういう番組)
奇しくも大腸ガンの特集だったんですよね
呆然としながら見ていて、中身は全然覚えていないですが、涙がぽろぽろ出てくるんですよね
泣いていたときに母親が帰ってきて、主治医から言われたことを説明(※まるで嘘みたいなドラマみたいな展開)
その夜に父親にも話をして、確か3人で説明を聞きに行きました
「大腸を全部取る」という言葉の重さは、単なる医学的な説明を超えて、生活そのものを大きく変える現実としてのしかかってきます。
食事、排泄、体力、そしてこれからの人生――そのすべてに影響するかもしれない。そんな恐怖と不安で胸がいっぱいになりました。
そもそも手術をして治るのか。。。治らないんじゃないのか・・・
「なぜ自分が?」という思い
診断を受けたときと同じように、最初に浮かんだ感情は「なぜ自分が?」という気持ちでした。
家族性大腸腺腫症という病気は遺伝によるもの。
頭では分かっていても、心はなかなか納得できません。
「もう少し違う人生だったら、この病気に出会わなかったのではないか」
「どうして自分だけが、こんな大きな選択を迫られるのだろう」
そんな感情が波のように押し寄せてきました。
手術を受けなければどうなるのか
同時に頭をよぎったのは「もし手術を受けなければどうなるのか」という問いでした。
医師からは「放置すれば高い確率で大腸がんになる」と説明を受けました。
その言葉は現実的で、避けられない未来を示していました。
「このまま放置するわけにはいかない」
「命を守るためには必要な選択だ」
そう理解していても、やはり心は葛藤します。命を守る代わりに、大きな臓器を失い、生活が変わる。頭と心が真っ二つに割れているような感覚でした。
「心配をかけたくない」
伝えるべき内容は重く、言葉を選ぶのにとても時間がかかりました。
実際に家族に話したときは、涙が出てしまい、うまく言葉にできませんでした。
それでも、受け止めてくれた家族の存在が、手術に向き合う力になったのも事実です。
手術への恐怖
「大腸全摘」という言葉を聞いたとき、一番の恐怖は「術後にちゃんと生活できるのか」でした。
日常生活できるのか、、、
• トイレの回数はどうなるのか
• 食事は普通にできるのか
• 体力は戻るのか
• 仕事や日常生活に復帰できるのか
頭の中には疑問が次々と浮かび、答えが見つからずに不安だけが膨らんでいきました。
医師に質問しても、すべてを正確に予測することはできません。
だからこそ、「未知への恐怖」と向き合うことが一番の課題でした。
手術を受ける決意
不安は尽きませんでしたが、最終的には「手術を受けよう」と決意しました。
その理由はシンプルです。
命を守るため。
そして、親より早く死ぬのは親不孝だよな、なんてことを思って手術を決断しました
確かに大腸を失うことで生活は変わります。
しかし、手術をしなければ大腸がんのリスクが極めて高いことも現実です。
この家族性大腸腺腫症は通常一つ、二つのポリープが100個以上発生します
その一つ一つが大きく(2cm以上)なって、全てがガン化する可能性があります。まさに同時多発テロ。。。
ガンになるだけならまだしも、次は転移というリスクがあるので生きるためには大腸を全摘するしかた選択肢がない状況です
「生きていくために必要な選択」
そう自分に言い聞かせることで、ようやく心が少し落ち着きました。
もう、まさにこの一言でしかありませんでした
術式として大腸全摘というのがあるのなら生存率は高いでしょうし、こればかりは主治医を信用するしかありませんでした
そういう意味では良い医者が主治医で、執刀した医者も最高だったと思います
(高カロリーの点滴を入れるときに合併症で肺気腫になったのは良い思い出です(笑)
手術に向けての心構え
気持ちの面では「手術はゴールではなくスタート」と捉えるようにしました。
大腸を失うことは確かに大きな変化ですが、それで人生が終わるわけではありません。
むしろ「ここから新しい生活が始まる」と思うことで、少し前向きな気持ちを持てるようになりました。
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支え合いの大切さ
手術に向き合う過程で強く感じたのは、一人では抱え込めないということです。
家族や友人、、医療スタッフ――それぞれの支えが、不安を和らげてくれました。
まとめ:大腸全摘を前にして
大腸全摘が必要だと宣告されたとき、私の心は大きく揺れました。
不安、恐怖、葛藤…。それらは簡単に消えるものではありませんでした。
けれども最終的には、「命を守るために必要な手術」として受け止めることができました。
• 手術の宣告は衝撃だが、命を守るための選択
• 不安や恐怖は自然な感情であり、否定しなくていい
• 家族や周囲に支えてもらうことで前向きになれる
• 手術はゴールではなく、新しい生活のスタート
これが、私が手術に向き合う中でたどり着いた答えです。
大腸全摘という大きな選択を迫られるのは簡単なことではありません。
けれども「生きるための一歩」として、その選択を受け入れることで未来につながるのだと信じています。
一つ思うのは、民間療法には頼らないで欲しいな、と思います
わらをもつかむ思い、ってのは分かります
でも、確率論として西洋医学のほうが生存率は高いのは明らかです
その生存率をわざわざ低くなる民間療法に頼るのはなんだかな、と思います
まあ他人の人生と言えばそれまでですが、「明日という字は明るい日」と書くんですから
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