読みやすい本、聴きやすい本とは? ― 多読生活の中で気づいたこと

多読ライフ、はじめました

私の毎日は、通勤時間の往復1時間、ランニングやウォーキングに30分〜1時間、そして昼休みには紙の本を30分ほど読む習慣があります。夜、家に帰って余裕があればKindleで読書。いわゆる“多読”を意識した生活です。

積読が100冊を超えてしまい、これはさすがにまずいと思い、紙の本とKindleでそれぞれ別の本を並行して読んでいます。

読みやすい本もあれば、読みにくい本もある

Kindleでスラスラ読める本もあれば、なぜか読み進めづらい本もあります。同様に、オーディオブックでも、耳にすっと入ってくる本もあれば、聴いていて途中でついていけなくなる本もあります。

たとえばビジネス書。Kindleではあまり得意ではありません。

でもまったく読めないわけではない。一方、小説になると驚くほどスムーズに頭に入ってくる。

この違いは何なのか。ふと、考えてみたくなりました。

文体とリズムが理解度を左右する?

文章の書き方に関する本を読むと、必ずといっていいほど「文末表現のバリエーション」が出てきます。

たとえば「です・ます」ばかりが続くと単調になり、読みにくくなる。

逆に適度に表現を変えることで、文章にリズムが生まれ、読みやすくなるというのです。これは、実感としてとても納得できます。

私自身も文章を書くとき、気を抜くと「です・ます」の連続になってしまいがちです。

そこで、書き終えた後には必ず声に出して読み、リズムや違和感をチェックするようにしています。

なぜなら、書いた文章は「書いて終わり」ではなく、「読み手に伝わって初めて完成するもの」だからです。

読みにくい本の原因は「リズムの悪さ」?

「読みにくい本」「聴きにくい本」に共通しているのは、もしかしたら文章のリズムが悪いことなのかもしれない。そう思い始めました。

もちろん、商業出版されている本は校閲を経ています。しかし、校閲の役割は主に「事実確認(ファクトチェック)」や「文法的な正しさ」の確認です。文章が読みやすいかどうかまでは、チェックの対象ではないことも多いでしょう。

あまり手を加えると、作家の文体や個性が損なわれてしまいますし、「読みやすさ」の最終判断は読者に委ねられているのかもしれません。

そう考えると、「読みやすさ=文章のリズムのよさ」という仮説は、案外的を射ているのではないでしょうか。

オーディオブックが気づかせてくれたこと

オーディオブックを使うようになってから、文章のリズムやわかりやすさへの意識がぐっと高まりました。

実は、小説でさえ「聴きづらい」「頭に入りにくい」と感じることがあります。そういう作品は、どんなに面白そうでも、途中で再生を止めてしまうことがほとんどです。

本当は最後まで読みたい。作者の熱意を感じる内容だと、なおさらです。でも「聴きやすさ」がないと、内容が頭に入ってこず、どうしても集中が続かないのです。

それは、きっと「オーディオブックに向いていない文体」なのかもしれません。そう思って、そっと停止ボタンを押します。

文章は「伝わること」がすべて

読書スタイルが紙からKindleへ、そしてオーディオブックへと広がったことで、私は「わかりやすさ」や「伝わりやすさ」の大切さを以前よりも強く意識するようになりました。

文章の善し悪しは、内容の優劣だけでは決まりません。どんなに良いアイデアも、読者に伝わらなければ意味がない。

だからこそ、文章を書くときも読むときも、「リズム」や「文体」、そして「伝わりやすさ」にこだわりたいと、あらためて思うのです。

きちんと伝わる!センスのよい文章の書き方/日本能率協会マネジメントセンタ-/赤羽博之

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北海道出身で現在福岡に在住の44才 ギターを弾いていてアメリカに留学をしていたこともあるが、いまはしがないサラリーマン ライブに行くのが趣味で、ロック、ポップス、ジャズ、フュージョンなど幅広く見に行く 新し物好きで、ガジェットが好き、読書も好き